“何か”になりたい私たち

今日はヒカリエ「8/」×シブヤ大学の授業デビューでした。

別スペースで開催中の展示も気になる・・・

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授業は、東京R不動産の皆さんのお話。
無性に部屋を模様替えしたいです!!!

話はがらりと変わって・・・
今日、ふと思い出したことがあります。

20代前半のころ、友人に
「何を目指しているの?」
と言われたことがあります。

それは
夢を持ってる?やりたいことある?
という問いではありません。

大学時代の私は何かに打ち込みたいものの
これだ!!と思うものになかなか出会えずにいました。

その後、映画の世界で働きたい!という目標ができて
上京することで最終的にその願いは叶うわけですが、
いざ働いてみるとどこか不完全燃焼だったように記憶しています。

(それは決して悪いことではなくて、
やりたいことを仕事にするときにぶつかる壁、
学生から社会人になるための・・・
消費者から生産者になるための洗礼だったように思います)

前述の「何を目指してるの?」は
不完全燃焼を感じていた頃、友人から言われた言葉です。

当時の私がどう返したかというと、
何も答えられませんでした。
どうも私は、何か勝手な「理想」のようなものを持っていて
それが叶わない状況を環境のせいにしていました。
こうあるべきだ!
という枠を自分で作ってしまっていたともいえます。
不満ばかり語って自分では動かないという・・・
典型的な残念なひと=私じゃん!という衝撃!!

「何を目指しているの?」
という友人の言葉は、
正論を言うことで何かを目指しているような気分になって
安全地帯にいて努力をしない私を叱咤してくれたわけです。

 

この経験から得たのは、
打ち込みたいことを探している途中、
このままでいいのだろうか?と不安を感じている中、
私たちは“何か”を目指そうとするのだなということ。

それは現在、まさにこの瞬間、
不安な状況から逃れるために、楽になりたいから、
誰かの情報をそのまま受け取ってしまって、
あまり手間をかけなくても得られる情報から選んで、
目標に据えてしまっているのかもしれないということ。

人それぞれ、経験によって、
どのような状況にいるのかによっても異なるので
一概にはいえないのですが
(気軽に据えた目標が、
いい感じに転がって本気になる場合ももちろんあります)
私はいまでも時々自分にきいてみています。
「何を目指しているの?」

答えられる自分を確認するため、
ある意味チューニングのために
今でも友人の言葉を借りています。